私たちは、それぞれが与えられた賜物を開花させ、その力を人類の真の発展のために惜しみなく役立てる人材となることを目指しています。そのために「心の糧」を大切にしています。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
(マタイによる福音4章4節)


聖書の朗読箇所

毎日の朝礼で読まれる新約聖書の箇所をご紹介いたします。(PDFファイル)
 
平成28年度 4・5月
平成28年度 6・7月
平成28年度9・10月
平成28年度11・12月

 

校長講話

平成28年1月12日(火) 全体集会にて

皆様ごきげんよう。新年に入って早くも12日となり、初めて皆様と顔を合わせることができました。公務員や会社勤めの社会人の方にとっては、4日(月)や5日(火)が仕事初めでした。皆様は曜日の都合で12日(火)が全体集会となり、長い冬休みだったのではないでしょうか?もちろん、冬休みの課題はしっかり提出できるようになっていることと思います。
 教会では、教皇フランシスコが全世界に向け、2016年を「特別聖年・聖なる年」として、「いつくしみの聖なる年」と宣言なさいました。皆様は昨年の修養会で、「いつくしみの神」をテーマとし、神父様からお話を伺ったことを思い出せますか。内藤神父様が沖縄の言葉で、「慈しみ」について、「慈しみは、憐れみであり、赦しである」と教えてくださいました。私たちも毎日、主の祈りの中で、「天におられる私たちの父よ・・」と祈っています。この祈りは、神様を父として、私たちが皆兄弟姉妹であることを示しています。元旦は、「世界平和の日」とも呼ばれます。教皇様は「世界平和の実現」を「私たちの家庭・学校・自分の周りから良くして世界に広めていく」ことも話されました。
元旦の朝日新聞に、「オバマが歌った ゆるす心」という題名で、「アメージング・グレース」を歌ったことの記事が載っていました。オバマ氏は昨年の黒人射殺事件の追悼式で、憎しみの呪縛からの解放を祈って、この歌を歌ったのです。
皆様も知っている「アメージング・グレース」の作詞者はジョン・ニュートン(1725年~1807年)で、まだ奴隷制が行われていた18世紀当時奴隷貿易に長年携わった荒くれ男でした。航海中に嵐に遭い、死ぬのは天罰だと考えたそうですが、その時神様と出会い、助かったのです。その後回心して牧師となり、大勢のアフリカ人奴隷の売買に手を染めた罪の償いと赦しを求めて、この歌を作ったそうです。そして、奴隷貿易の廃止を実現させたのです。
「アメージング」とは、「びっくりするような」、「グレース」とは「神様の恵み」ですから、「アメージング・グレース」とは、「神様の恵みはびっくりするほど豊かで、ありがたいもの」といった意味が込められています。
 歌詞の一部を紹介します。
「神様の恵みによって、わたしのようなみじめな人間も救われました」
「昔は道に迷っていましたが、今は神様がわたしを見つけてくださいました」
今、世界を見渡せばまだ、戦闘や難民問題で、学びたくても、学べない子供たちが沢山います。特にシリアでは学校の校舎も軍事・戦闘に利用され、学校にいけない子どもたちがほとんどなのです。
皆さんは今、学んでいかれることを大切にしてください。「学べることの幸せ」を考え、他者のために役立つ女性に成長していくことを目指してください。
今年は、皆さんの周りを互いに大切にし合い、赦し合うことによって平和を広げていかれるようにお願いします。


教員の話

【平成28年9月29日(木) 放送朝礼にて】

秋が近づき、前期もまもなく終わりを迎えます。この前期を振り返り、どのような学校生活を過ごしたでしょうか?
今週の朝礼ではマザーテレサの祈りである「私をお使いください」が歌われていますが、9月4日(日)バチカンにてそのマザーテレサが列聖されました。では聖人とはどのような人がなるのでしょうか?それは、生涯にわたってイエス・キリストの生き方を貫いた人です。マザーテレサは、決して聖人になりたいために、誰からも見捨てられた貧しい人を助けていたわけではありません。困難にある人に向き合い、イエスだったらどうしていただろうと常に思い巡らし、行動に移していた人です。今週の聖書のたとえ話は、ある金持ちが、お金に執着し贅沢に遊び暮らしていたが、貧しい人ラザロには一切関わろうとせず無関心でいたため、死後の世界では苦しみにもだえるというお話です。
気の合う仲間同士でいることは簡単です。この金持ちは、生きている間、贅沢に遊び暮らすことには関心はあっても、自分とは住む世界がちがう貧しい人を顧みることができませんでした。でも神様はきっと自分たちだけの世界に閉じ困らず、私たちの身の回りにいるそうした自分とは違う世界の人々にも関心を持ち、関わってほしいのだと思います。
先週の日曜日、カトリック教会では世界難民移住移動者の日にあたり、難民のためにお祈りをしました。オリンピックでも難民選手団が話題になりましたが、現実の世界には、自分の国に住めない難民と呼ばれる人々が6530万人に上り、過去最多を記録しています。ミサに出ていたとき私は、学生時代に大学の寮に、ベトナムからの難民の学生が住んでいたことを思い出しました。都内のある教会に保護され、大学で物理を学んでいた彼から一度こういわれたことがあります。「ぼくはこの日本で進んだ技術を学び、国の復興や再建に自分自身を役立てたい」と、当時難民の立場にある人と直接話したことがなかった自分にとって衝撃でした。日本の大学で学び、母国のために一生懸命働きたいということに感動しました。同時に、日本で、ここまで自分の国の将来について真剣に考えている学生がどれくらいいるのだろうか、自分は一体何をやっているのだろうと考えさせられました。
マザーテレサによると、「聖人とは一度も罪をおかさなかった人ではなく、罪をおかす度に、悔い改めて、やり直した人です。一度も倒れなかった人はなく、倒れる度に立ち上がった人です。」と教えてくれています。大切なことは、間違いや失敗をしないことではなく、やり直すことなのではないでしょうか。皆さんは、自分が親や先生の期待通りになれないで悩むことはありませんか。人と比べて自分はだめだと思い込んでいませんか。期待通りになれなくても、大丈夫です。少なくとも神さまはそう思っています。このままではいけないと思ったらやり直せばいいだけの話です。
来週から後期が始まります。今日のLHRで前期のふりかえりの時間がありますが、自分は生きている今、貧しい人や困っている人を顧みることができているだろうかと考えてみてください。たとえ話に出てくる「ラザロ」という名前には、ヘブライ語で「神は助けたもう」という意味があります。神様が自分に期待していることは何だろうと振り返ってください。あのベトナムからの難民の学生ように、学んだことを社会に役立てたいと思う時、きっと神さまが背中を押してくれると思います。このことを信じて学校生活に誠実に向き合ってくれるとうれしいです。

平成28年1月21日(木) 放送朝礼にて

2016年がスタートして3週間が経ちました。この冬休み、みなさんは何をして過ごしましたか。受験勉強、大掃除、紅白や箱根駅伝を見てゆっくりしたなどだと思います。
今週の聖書は、カナの婚礼(ヨハネ2:1‐11)ですが、私は結婚をしてから初詣をするようになりました。カトリックの家に生まれ、今までクリスマスには教会、お正月にも教会に行っていた私にとって、神社に行って初詣をすることは新鮮であり、日本の文化を体験する機会にもなっています。この冬休みには京都の伏見稲荷大社に行ってきました。千本鳥居で有名ですが、沢山の人が初詣にやってきていてものすごい行列でした。みなさんの中にも初詣をした方が沢山いると思います。宗教は異なりますが、共通しているのは、新年を迎えるにあたってみな真剣に何かをお祈りしていることです。例えば、入学試験に合格できますように、病気が早く良くなりますように。高校3年生が無事に卒業できますように、家族みんなが幸せでありますように…。
でもこの世の中は、必ずしも自分が願ったとおりにはなりません。試験がうまくいかなかった、思いがけない事故や災害にあう事もあります。応援していた人気グループが解散してしまうこともあります。だからこそ、お祈りする時大事なのは、お願いすることのほかに、神様にお願いした結果を受け入れる心を持つことなのではないでしょうか。神様に心から語りかけて、そして、精一杯努力してがんばってみて、その結果、良いこともあれば、残念な結果になることもあります。お祈りする時に大切なことは、お願いしたあとに、神さまからの返事を受け入れること、神様からの返事に耳を傾けることだと思います。
神さまからの返事は、私たちにとって不思議で理解できないこともあります。たとえば、
カナの婚礼では、召使たちは、マリア様から「この人がなにか言いつけたら、そのとおりにしてください」といいました。この人とは、もちろんイエスです。イエスは、水がめに水をいっぱい入れなさい」といいました。召使は、言われたとおりにかめの縁まで水を満たしました。それで、ぶどう酒がいっぱいになりました。もし言われたとおりにしなかったら、水のままだったと思います。召使は疑問に思ったはずですが、とにかくイエスやマリア様から言われたとおりにしたからこそ、婚礼は喜びで満たされたのです。世話役も知りませんでした。聖書では、ぶどう酒はとても大切で、お祝いの席には欠かせないものです。ぶどう酒は、神様が与えてくれる救いのシンボルです。ミサにも欠かせないものです。
 本当に水がぶどう酒になったかどうか分かりませんが、沢山の人があつまる婚礼の食卓が喜びに満ちたことは間違いないでしょう。参考までに、どれくらいの水をぶどう酒に変えたかというと、当時1メトレス=約39リットル。2ないし3メトレスとは約120リットル位でしょうか。水がめ6つあったので、合計で約720ℓになります。1ℓのペットボトルで720本以上です。全校生徒でも飲みきれないほどの量です。普通の結婚披露宴でも飲みきれない大量のぶどう酒があったことになります。つまり、キリストがもたらしたお恵みは十分にあってすべての人に行き届くに余りあるほどになることを告げています。その結果、弟子たちが信じたことが大切なのです。神様のお恵みが不足することはありません。この物語で語られていることは、イエスが昔、幾つかの水がめを大量のぶどう酒にかえた、ということではなく、キリストが生活に入ってきたときは、いつでも水をぶどう酒に変えるような新しい出来事がおこる、というメッセージです。
この1年の最初にそれぞれお願いごとをしたと思いますが、自分の思ったとおりにならないこともあります。でもお祈りする時に、私たちはつい、自分の欲しいものばかりを願いますが、神さまが私たちにかなえてくださるのは、私たちにとって必要なものをかなえてくださると思います。新年の最初に、お祈りした結果として帰ってくる神様の返事を受けいれる、これもお祈りする時に大切なこととして心に留めておいてください。